理事長あいさつ

上田正昭顧問のご逝去を悼む

「朝田教育財団だより 第25号 2016年8月」より

朝田教育財団 理事長 松井 珍男子

上田正昭先生が3月13日に他界されました。

当財団において長年にわたって理事を務められ、昨年から顧問に就任いただき、多大なるご指導を賜ってきました。亀岡市における公務をお元気に務められた翌日のご逝去で、ご家族の皆様にとってはあまりにも突然のお別れであったことでしょう。享年88の大往生でした。

3月15日の葬儀通夜式に、朝田華美副理事長とともに永久のお別れに行ってまいりました。5月31日に亀岡市で行われた「上田正昭先生を偲ぶ会」には、900名を超える大勢の市民・関係団体・行政関係者などの皆様が参加されていました。当財団から井本武美理事、佐々満郎理事、笹原義廣理事とともに参列させていただきました。

上田先生は日本を代表する古代史の専門家であり、多くの著作を世に出されています。その日本の歴史の中で、賤民や被差別民の歴史に光を当て、その人々の人権の大切さを訴え続けてこられました。差別と人権の視点では、在日コリアンへの差別の問題をも鋭い目で追求されていました。上田先生の訃報を載せた地元紙のコラム欄では、「おおらかで暖かな眼差し。民の歴史見つめた上田正昭さん逝く。日本の良心だった」と書かれていました。この短い文章は上田先生の人間性を最も確かに表現した一文だと思います。

当財団主催の「第18回朝田善之助記念講演の夕べ」(2000年7月4日)で、上田先生は朝田善之助初代理事長のことを「同盟の運動方針に朝田さんの理論が全面に出たのは、部落解放同盟の第26回大会の運動方針ではないか。いわゆる朝田理論の三つの命題というものがそれでございます」「この朝田さんの理論が、戦後の部落解放運動の大きな柱になってきたことはいうまでもございません。もちろん今日の時点では、朝田さんの理論だけでは部落解放は前進するとは私は考えておりませんけれども、戦後、部落解放運動の歴史の中で朝田さんが第二代委員長として果たされた役割は誰がなんと言おうとですね、厳然たる事実としてその存在はきわめて大きかった」と語っておられました。

また、「朝田教育財団創立30周年の集い」(2011年7月18日)でも上田先生にご講演をいただきました。その中で朝田初代理事長のことを「なんと素晴らしいことをやられたなぁと。人材をどう育てるか。本当は政府が奨学金制度を拡大して、反差別の視点からも奨学金を支給すべきですが、30年の間、自力で教育財団は努力してきた」と高く評価されていました。上田先生のお話から、朝田初代理事長と上田先生は誠に強い絆で結ばれ、信頼関係が厚かったことが伺われます。

私と上田先生の出会いは半世紀以上前、立命館大学で「部落問題研究会」の顧問になっていただいた時からです。部落問題を学ぶ学生にとって、正しい歴史観を持たれた先生からの教えは心に染み入るものでした。そのころ、先生は鴨沂高校の教員であり、立命館大学では文学部の講師もされていました。部落問題にかかわっては「部落解放京都市研究集会」「部落解放北区研究集会」などでのご講演を複数回にわたってお願いしてきました。これらの集会では、平易な語り口で部落問題について市民の理解と共感を呼ぶようなお話をしていただきました。

時が経ち、上田先生のすぐれた才能を改めて知らされたのは、「世界人権問題研究センター」創設のとき(1994年)のことです。建都1200年記念事業として企画されたこの取り組みには激しい賛否両論があり創設までには上田先生ほか関係者の皆様が大変ご苦労されました。京都市役所に勤めていました小生も議会での激しい議論などを見聞きしていましたので、よくぞここまで頑張っていただいたものだと改めて上田先生への敬服の念を高めたものでした。往時のことを、先生は研究センターの機関誌で「この創設のプロセスには、デマもあれば中傷もあった。要求に応じた団体交渉もあった。山もあれば谷もあった、センターの軌跡である。その準備期間を加えれば、私にとっては20年余りの歳月となる」と回顧されています。まさに、上田先生はこのセンターの生みの親であり、育ての親でもあられました。先生は学術研究のみに終わることなく、世の中の矛盾と対峙しながら正しいことを成し遂げていくという素晴らしい活躍をされたのであります。研究センター創設から早22年あまりが経ちますが、この間の5部門にわたる研究の大きな成果は、創設前に予断を持って反対されていた方々の見方とは全く異なって、学際的にも高く評価をされることとなっています。

もう一つ記憶に残っているのは「部落解放運動への提言」(部落解放同盟中央本部、2007年12月)であります。当時は部落解放運動における「歴史的・構造的欠陥」の克服をめざされ、その提言委員会の座長に就任され、厳しいご議論をまとめられました。運動の社会的信頼を勝ち取るための心底温かな言葉を用いた提言でした。こんな難しい問題に対処できたのは、上田先生をおいて他には存在しなかったことでしょう。2002年の「同和対策事業特別措置法」の終了後、同和行政の根拠となる法律が存在しない状態が続いてきましたが、5月19日に「部落差別の解消の推進に関する法律案」が、自民、公明、民進の3党により共同提案され、今国会の会期末を迎えて衆議院での継続審議となりました。

上田先生は、人権問題、とりわけ部落差別にかかわって、多大な貢献をなされました。また、日本だけでなく、アジアにおける人権・差別の問題を研究されていました。広い視野で人権問題を考えるべきだと主張されてきました。先ごろ「ヘイトスピーチ対策法」が成立し、「水平社」と朝鮮「衡平社」との交流を示す資料が世界記憶遺産のアジア太平洋地域版に登録されることとなりました。さらに、「朝鮮通信使」の関係資料も世界記憶遺産に登録されようとしています。上田先生が長年にわたってご苦労されてきたことの一端が今ようやく日の目を見ようとしています。その先生が黄泉の世界に旅立たれてしまいました。人権・差別の問題にかかわっている私どもは、上田先生の指し示めされてこられた「差別のない、人権を大切にする、人権文化の豊かな社会」を実現すること、そして当財団の目的である「部落の青少年の高等教育を保障し、部落問題の解決に寄与する人材を育成する」ためにさらなる取り組み、努力していくことを霊前にお誓いします。

上田正昭先生、ありがとうございました。
どうか安らかにお眠りください。合掌。

2016年6月8日

理事長就任のごあいさつ

「朝田教育財団だより 第11号 2009年7月」より

朝田教育財団 理事長 松井 珍男子

当財団の賛助会員をはじめ、ご高配、ご協力を賜っております皆様方に、深甚なる敬意と感謝を申し上げます 1981年に設立された当財団は、あと2年後には、30周年の大きな節目を迎えることとなりました。

さて、城守昌二理事長は7年間もの永きにわたり理事長職を務めてこられましたが、本年3月7日に開催された第 58回理事会にて一身上の都合により退任されました。そこで、理事の互選により小生が理事長に選任されました。この理事長職をお引き受けするに当たり、私自身は正直かなり躊躇いたしました。それは歴代理事長の錚々たる方々に思いをいたすとき、私ごとき浅学菲才の者が この大役を務められるのかという不安でいっぱいになったからでした。

初代の朝田善之助理事長 (1981-1983年)は部落解放運動の偉大なる指導者であり、当財団の創設者であられ、私の人生の師であり、私ごとき者をここまで育ててくださった大恩人であります。

二代目の大橋俊有理事長 (1983-1990年)は京都市教育長、公営企業管理者(交通局長)、文教大学学長などの要職を担われた大先輩であり、数々のご業績のある方でありました。とりわけ、1964年(昭和39年)に策定された「同和教育方針」は簡潔にして要を得た名文の方針であり、その後の京都市同和教育の根源的な方針として永く活かされてきました。

三代目の奈良本辰也理事長 (1991-2001年)は立命館大学名誉教授であり、日本の歴史学者の第一人者であられた方であります。部落問題を歴史学の立場から学問的に解き明かされたご功績は筆舌に尽くし難きものがある、著名なる大学者でありました。

四代目の井上清理事長 (2001年)は京都大学名誉教授であり、日本史の大家として、封建制と身分制から部落差別の理不尽性を学問的に明らかにされた先生でありました。そして、五代目の城守昌二理事長 (2002-2009年)は京都市教育長、京都市助役を務められた大先輩であります。京都市の教育人脈は、常に「同和問題」と真正面から取り組まれた方々であります。大橋先生、城守先生、籔本薫先生、桝本賴兼前市長、門川大作現市長、そして今わが法人で評議員をお務めいただている米田貞一郎先生、佐々満郎先生、﨑野隆先生ほか、同和教育の実践を誠心誠意に取り組まれてきた方々です。そのような大先輩、大恩人の後の大役を私自身ができるのか否か、かなり逡巡した次第です。

本来であれば、永く理事を務められてこられた上田正昭先生、朝田勝三副理事長にお願いしたいところでしたが、朝田副理事長より「貴方は親父 (初代理事長)との深い縁のある方だから」と強いお勧めもあり「中継ぎ役」を果たしていこうと決心し、お引き受けしたような次第です。昨年3月3日に 54歳という若さで黄泉の世界に旅立たれた朝田善三前事務局長は、いまわの際まで「会社のことより、教育財団のことが気がかりだ」と語っておられたとお聴きしました。財団設立以来、逝去されるまで、存在感溢れる事務局長として指揮され、ご祖父・朝田善之助氏の遺志の実現のために努力されてきた朝田善三さんの教育財団への熱き想いに応えるためにも、関係者一同は全力を傾注し、この財団の発展のために努力してまいります。

今日まで、皆様方のご賛助、ご支援を賜り、当財団は順調な運営を続けてくることができました。当財団の主たる目的である「奨学事業」は、返還奨学金とご寄付いただいた「賛助金」を財源に均衡の取れた奨学金貸与運営が可能になっております。「部落問題に関する啓発事業」は、研修会の開催、学習講座の開設なども計画通り実施でき、「朝田教育財団だより」も年2回のペースで発行しております。しかし一方で、新公益法人への移行、資料館開設準備とその財源確保の課題などを抱えております。これらにつきましては、役職員の衆知を集めて困難に立ち向かっていく所存であります。

現今の人権をめぐる動き、とりわけ京都市の人権行政の動向を見るとき、当財団の役割はますます重要性を増してきております。設立者・朝田善之助氏の遺志を大切に継承し、その目的達成のために努力してまいりますので、今後 とも当財団へのご理解、お力添えを賜らんことをお願いし、理事長就任のごあいさつとさせていただきます。

朝田教育財団 理事長 松井 珍男子

略歴
まつい いずひこ
1938(昭和13)年、和歌山県生まれ。
立命館大学卒業。
1961年、京都市役所入庁。
監査事務局長、民生局長、収入役などを歴任し、
2002年、副市長(助役)に就任。
2006年に退職。2008年秋の叙勲で瑞宝中綬章。
現在、
公益財団法人 朝田教育財団 理事長
一般社団法人 春秋会 理事長
学校法人 立命館 評議員(評議員会 議長)
京都市ペタンクブール連盟 会長
社会福祉法人 こころの家族 理事・評議員
京都 和歌山県人会 相談役
信楽カントリー倶楽部 監事 などを務める