奨学生の近況2|2020年度 前期

『情報を見極める能力』

 

つい最近、大学に入学したと思っていたが早いもので4年が経過し、卒業制作も単位認定され無事に大学を卒業することができた。

 

世間ではコロナ禍により内定取り消しなどの声も聞く。

リモートワーク出社などで対応を取ってくれた会社はまだ良い方で、アルバイトですらシフトに入れない状況だと耳にした。

コロナ禍の影響でネット上ではマスクや消毒液の転売に限らず、デマや自粛警察なども見られる。

世間全体で負の空気が蔓延しているように感じる。

そのネット世界の誹謗中傷に耐えかねて一人の女性プロレスラーの方が自殺したという。

 

誹謗中傷については連日大きく取り上げられ、国会でも協議されるほど国全体で重く受け止められている。

ネットを使用していて社会的に悪いことをした場合、批判されるのは当然で甘んじて聞くべきという一方、全然関係ない人間が安全圏から正義を振りかざし攻撃と暴言を本人に直接的に言ってもいいと勘違いしている人を多く見受ける。

前回「理解できない他人の行動」でも述べたがまともな意見までも人格否定、個人への攻撃だと勘違いしている人は本当に多く見受けられる。

 

同じ大学生という立場でありながら学年の違いで「可哀想」や「もう少し譲歩して」などと言い多くの場合「他人には優しくやろう」という意見を押し付けてくる。

この多くの場合、他人の痛みに鈍感なだけなので余計にタチが悪い。

他人に対しても厳しく評価してしまうが、それを表立って直接言って攻撃しない方が、他人に優しくと言いながら無自覚に他人を攻撃してみたり、痛みに鈍感な人間を考えると幾分マシだと思う。

 

この場合における「厳しく」は攻撃的な物言いではなく「ちゃんとやる事」をある程度要求しなくては結果的に周りに迷惑がかかる。

攻撃的な物言いと、本人にとって痛い所突くというのは似ているようでまるで違う。

言われた本人が「痛いところ突かれた!!」と感情的になって怒ってもその人間が原因で他の人間が傷ついているし、それに気付かないから厳しく指摘しないといけない訳で、それでも傷つけていることも自覚しつつ指摘するのは指摘する側もそれなりにリスク背負うことになる。

コミュニケーションは最終的に何らかの傷のつけ合いになるけどそれを分かってないから、「譲歩してやれ」などの想像力に欠けた言葉が出る。

絶対に何かしらどう発言しても誰かは傷つく可能性がある。

万人に受け入れられるということは有り得ない。

 

「なあなあな」態度や甘い言葉を使うことは表面的には傷つかないかも知れない。

しかし、厳しく見て言うべきところはちゃんと言う方が結果的に優しいのではないかと思う。

日本では、厳しい(本人にとって)指摘と暴言や悪口、本人への批判の区別がついてない傾向にあるように見受けられる。

 

作品や論文や研究の内容の甘さについて純粋に質問され、怒ったり泣き出す学生などが割といるが、まさにそれじゃないかと考える。

逆に厳しいけどまともな指摘をしているつもりでただ暴言な場合も相当多く、ネットにはそちらが多く見受けられる。

若い子の動画配信アプリTik-Tokなど見ていたら「アンチやめてください」と、それなりの確率で言っており「アンチ」が何を示してるかと言うとブス、キモいなどの暴言以外に、大抵一般的にどう考えても迷惑、犯罪だろうという行為を咎められてることに対して言っている。

 

厳しい指摘をしているつもりの方も暴言を吐いてるだけ、受け取る側も真っ当な指摘を個人そのものの否定として捉えていて、大きなコミュニケーションの歪みを感じる。

 

発言者側の自分の行為に対する自覚と、受取手の意見なのかただの攻撃なのかを見極める習熟度が低い。

SNS 、言葉の使い方を今まで以上に考えていかないといけないことはもちろん、全体で見極めの習熟度を高めなくてはいけないと感じる。

 

大学 人文学部 卒業 Z.Y.さん