僕にしかないもの
気づけばもう4回生になっていた。時間は容赦なく進んでいくことをひしひしと感じる。そして気づけば、15歳の頃に漠然と抱いていた「弁護士になりたい」という夢が、ただの夢ではなく目の前にそびえ立つ壁のように感じる。
最近は大学院入学試験に向け、図書館の片隅でひたすら六法全書と参考書をめくる毎日。蒸し暑い日差しの中、その光を浴びることもなく、ただ机にかじりつくように勉強する日々だ。その一方で、同級生たちはもう就職先を決め、残り少ない大学生活を存分に楽しんでいる。夜の鴨川で語る声や、帰り道の居酒屋から聞こえる笑い声が、どこか眩しく、そして悔しさを呼び起こす。時折SNSに流れてくる同級生の旅行の写真を見ても、心のどこかがきゅっと痛む。羨ましいと思うことも多々あるけれど、自分の気持ちが大きく動くわけでもない。遊んでいる人を見て羨ましいと思うけれど、それでもなぜか心の奥底は揺るがない。それはどこかで、自分に負けたくないという気持ちがあるからだと思う。高校性のときも同じような経験をした。今と同じように毎日朝から自習室に通い、閉館まで勉強していた。「勉強していないと怖い」と思うほどだったし、勉強すればするほど理解できた。そんな過去の自分を知っているからこそ、今勉強で躓いている自分が嫌になって、逃げたくなるときがある。時々「僕も就活したほうが良かったのかな」と思うことがあるが、そう思うたびに、「逃げて良いの?あの時頑張っていた自分はなんだったの?」と心の中で自分が問いかけてくる。過去の自分が今の僕を作ってくれているように思う。
しんどい時も多いけれど、それでも頑張れているのは、冗談でなく自分の周囲の人のおかげだと思う。情けないけれど、大学4回生になってようやくそれを感じるようになった。京都での大学生活を通じて感じたことは「自分は誰よりも周囲の人に恵まれている」ということ。「周りの人に恵まれる才能」だけは持ち合わせている気がする。自分よりも運動ができる人、頭が良い人は山ほどいるけれど、僕ほど良い友達や先輩後輩、親戚や家族を持っている人はいないように思う。綺麗事ではなく、たくさんの人に支えられて今の自分がいる。ふとしたときにたくさんの人が僕や、僕の夢を応援してくれる。毎日負けそうになるけれど、毎日頑張れと言ってくれる人がいる。だからこそ頑張れるし、その人たちの期待に応えたい。本当に感謝しかない。ありがとう。
結局、法律の勉強はコツコツ積み上げるしかないことはよくわかっているし、大きな夢は一歩ずつの積み重ねの先にしかないと知っている。怠ければ何も変わらず、進めばかすかな希望が見える気がする。そんな当たり前の事実が、痛いほど胸に沁みる。僕の大好きな歌にも、「すぐ叶うことじゃない方がビューティフル」という一節がある。本当にその通りだと思う。夢はすぐ叶わないからこそ夢だと思う。中学生から思い続けてきた夢を、夢でなくすためには今やり切るしかない。今日も明日もまた、図書館の椅子は冷たい。けれどその先にかすかに見える出口を信じて、静かに、確かに、歩みを進めていく。
大学 法学部 4回生 Y.K.さん