奨学生の近況1|2020年度 前期

『新社会人として』

 

これから東京での新社会人としての近況報告に併せて、今回は学生時代を通して参加してきた「奨学生の集い」について、私なりの意見や感想を述べようと思う。

 

まず、東京での新社会人としての生活は、自分にとって非常に新しい経験であるとともに、なかなかハードワークでもあるように感じている。
というのも、大学を卒業するまでの約20年間、実家で過ごしてきた私にとっては、日々生活を送るにあたって必要最低限の活動、いわゆる家事を始めとした身の周りの活動が、いかに当たり前のように享受し、そして甘えてきたのかをひどく実感している。
一人暮らしを始めてもなお、家族の存在は非常に大きく感じる。
もちろん、しばしば送られてくる仕送りは非常に助かるが、それ以上に、思いやっての日々の些細な私への連絡は、家族の温かさを感じさせ毎日の仕事に対する原動力にもなっている。

 

また、仕事面においては、最近ようやく「慣れ」というものが出てきた。
学生時代にも同業種でアルバイトを経験していたため、多少の余裕や自信は持っていたつもりではあったが、新しい環境というのは、やはり多かれ少なかれ自身に委縮をもたらすことを痛感した。
だからこそ、入社から三か月経った今、様々な業務を経験し、様々な人と関わる中で、少しずつ自信が付き、結果として仕事にも成果を実感できるようにもなってきた。
もちろん現状には全くもって満足はしておらず、また「慣れ」による、気の緩みには細心の注意を払いつつ、今まで通り、高い目標を持って眼前のタスクに注力し、邁進していきたいと思っている。

 

次に、長らく活動してきた、「奨学生の集い」について、少々生意気ながら自分自身が思う改善点や意見を素直に述べたいと思う。
具体的にそれは、活動時に行われる講義の形態についてである。というのも、それらはしばしば一方通行的に私たち奨学生に対して行われていることから、意見の多様性をそれほど実感できない。
もちろん、その講義自体は毎回非常にためになり、また、ものの見方に対し新たな視点をもたらしてくれるものであるが、近年の急速な情報革新を発端とした、グローバリゼーションの潮流の中、社会にも以前より多様性を求める傾向が色濃く出始め、そしてそれらの「個」を認め、受け入れる時代にもなった。
だからこそ、毎回の講義にて発信される歴史や物事に対しては、より多くの世代のユニークな意見を聞けるようになると、自分自身、さらに得るものが大きくなると確信している。

 

最後に、このコロナ禍の中、感染者や労働者、他にも自粛による疲弊など非常に苦しい思いを多くの人々が経験しているが、だからこそ改めて自分を見つめなおし、事態の収束後に新たなステップへ踏み出せるよう、準備をする必要があると考えており、自分自身もまたそのような時間を貴重なものとして、今後の東京での暮らしをより実りあるものへと変えるべく、日々を過ごしていきたい。

 

大学 文学部社会学科 卒業 M.M.さん