最近感じること
今まさに司法試験予備試験の短答式試験がすぐそこに迫っており、正直なところ、精神的だけでなく、身体的にもとても辛いものです。机に向かって、膨大な条文の知識や判例を頭に詰め込む毎日は代り映えせず、現実逃避したくなることも少なくありません。そんな中で、ふとした瞬間、昔のことを思い出すことがあります。幼い頃の夢のことです。小さい頃は、将来は教師になるのか、あるいは医者になるのか、野球選手になるのか、本当に「何にでもなれる」と思っていました。世界はどこまでも広くて、可能性だけが目の前に広がっているような、自由な空気があった気がします。
しかし、中学生になった頃から今まで、「法曹」に憧れ続け、ある意味でとても狭くて険しい道を選び、そこを目指して突き進んでいます。幼い頃の自分から見たら、今の生活は随分と窮屈で、選択肢が限られたものに見えるかもしれません。しかし、不思議と後悔はありません。夢の「幅」は確かに昔よりずっと狭くなりましたが、その分、自分の目指す場所がはっきりと見えているからでしょう。
この試験に合格して、しっかりと法曹としての一歩を踏み出す。今の自分にとっては、この一点こそが一番大事で、何にも代えがたい夢になっています。
最近、勉強の合間に、ニュースなどで法案の話題を目にすることが増えました。最近だと、国旗損壊罪のような議論をニュースで見かけ、色々なことを考えさせられます。「何を守るべきか」「どこまでが自由として許されるのか」。こうしたテーマは確固たる正解がないだけに、すごく難しく感じます。また、冤罪被害を救済するための再審法改正についても関心を持っています。何十年もの歳月を経てようやく無罪が認められるという現実は、法が本来果たすべき役割を突きつけられているように感じます。証拠開示のあり方や、再審のハードルの高さなど、法改正を求める声の一つひとつに、当事者の人生の重みを感じる次第です。ただの暗記としての法律ではなく、社会の摩擦や、そこにいる人々の
感情とどう向き合っていくのか。将来、自分が法曹として現場に出たときに、こうした議論とどう関わっていくべきか。そんなことを、試験勉強の合間に、ぼんやりと考えることも増えました。ニュースの中の出来事ではなく、自分がこれから扱う「現実のルール」として、少しだけ距離が近くなったような気がします。
そんな張り詰めた日々の救いが、もうすぐ2歳になる姪っ子と遊ぶ時間です。彼女は2ヶ月に1回ほど京都に遊びに来るのですが、無邪気な彼女といると、本当に心の底からリラックスできます。彼女の屈託のない笑顔を見ていると、ふと子供の頃の自分と今の自分を重ね合わせることがあります。あの頃あんなに自由な夢を見ていた私が、今、こうして法律という厳格なルールを学んでいる。
彼女たちが大人になる未来が、少しでも生きやすいものになるように、そのために自分ができることは何だろう、と自然と思いを巡らせてしまいます。かつての大きな、広大な夢は形を変えましたが、今は「守りたい誰かのために」という、とても具体的な温かさが、自分の原動力になっているように思います。
夢が狭まったということは、裏を返せば、それだけ大切にしたいことが明確になったということなのかもしれません。
最後になりますが、まずは短答式試験をとにかく全力で突破したいと思います。法科大学院入試など、勉強尽くしの毎日はこれからも続きますが、これからも一歩ずつ、コツコツ勉強していきます。
大学 法学部在籍 Y.K.さん
































