朝田善之助記念館の竣工式・内覧会を行いました

朝田善之助の命日にあたる4月29日、朝田教育財団の長年の懸案であった朝田善之助記念館の竣工式、内覧会を開催いたしました。

 

11時、井本武美館長の司会で開会した。

松井珍男子理事長から開会に当たっての挨拶がありました。

 

「朝一番に南禅寺畔にある朝田家の墓地に眠る朝田善之助さん・はなさん・勝三さん・善三さんに記念館竣工の報告をさせて頂いた。本日は朝田善之助さんの36年目の命日であり、差別と闘い続けて80年の生涯を閉じられた記念すべき日でもあります。皆様にはゴールデンウィーク初日・メーデーの集いなどご繁忙の中にお集まりいただき有難うございます。

建設にあたっての関係者の皆様による資金面でのご協力に感謝。とりわけ朝田家の皆様から多額のご寄付を賜りました。本席を借りまして厚く御礼申し上げます。

水平社創立96年、朝田善之助元委員長生誕116年、記念館の完成を歓喜の念をもって迎えました。部落差別・同和問題はもう終わったと一部で言われていますが、決して問題は解決していません。その何よりの証左は一昨年成立した『部落差別解消推進法』であります。日本社会に今なお差別の現実のあることを示しているものです。

『知の巨人』と言うワードがありますがそれに因んで私は朝田善之助元理事長を『解放の巨人』と思っております。この記念館が有する幾多の資料から朝田善之助その人の生きざまを学習してほしいと思っています。

田中部落の自宅の一室で、机の前に座り赤鉛筆、青鉛筆で書物に線を引きながら学んでおられました。年を重ねてからは拡大鏡をかざしながら学んでおられました。社会科学に裏打ちされた解放理論の構築、戦略・戦術を駆使しての闘いが部落解放の地平を切り開いたのであります。他人にもご自身にも厳しい方で、毀誉褒貶、人それぞれに評価が異なることがありますが、間違いなくこの方がおられなかったら今日の部落解放運動はありません。

この記念館が人権確立への確かな歩みの出来る、一つの砦になることを願いまして竣工式に当たっての挨拶とさせていただきます。」

 

続いてご来賓の皆様からの祝辞をいただきました。

 

冒頭に西島藤彦 中央本部書記長からご挨拶いただきました。(後掲)

 

稲田新吾 京都市教育委員会教育次長からお祝いの言葉を頂いた。
子どもの貧困問題など子どもの抱える困難な状況を語られた。

 

西川隆善 世界人権問題研究センター事務局長は、世界人権宣言70周年の取り組みなどを紹介された。

 

平井斉己 京都府会議員は、朝田学校の次の世代としての自覚をもって議員活動をしっかり頑張りたいと抱負を語られました。

 

田内基「こころの家族」理事長から祝辞を頂いた。
田内さんは子供の頃の思い出として母から「日本は良い国であり、子供たちの教育も行き届いている国だ。」と教えられてきた。その国にこんな理不尽な差別があるとは知らなかったし、今後しっかりと勉強していきたいと語っておられた。

 

門川大作 京都市長が駆けつけて頂いた。
早速に祝辞を頂きました。(後掲)

 

次に井本館長から建設の経過が報告された。

 

次に森田設計事務所からこの建物の設計についての説明がなされ、木材をふんだんに使って、とりわけ自然に優しい建物としたこと、太陽光・井戸水の活用・ヒノキも廃材として捨てられるような弱い木を強く使ったことなどを解説された。

 

続いて松井理事長から建設業者・設計事務所に感謝状と記念品を贈呈した。

 

ここで式の終了にあたって朝田華美 副理事長から感謝の言葉が述べられた。
祖父は偉大な指導者として存在してきたが、祖母の言葉としていつも「その陰には多くの名もない人々の苦労があること」を教えられてきた。今後とも皆様のご支援・ご協力をお願いしたいことを訴えられた。

 

その後、竹口理事からこの記念館の概要と今後の展開について説明がなされた。

 

そして最後に佐々満郎 評議員の発声によって清酒で乾杯し無事に竣工式を終えた。

 

その後参加の皆様には、竹口等 常務理事の案内で記念館をご覧いただいた。

 

 

■門川大作 京都市長 挨拶

日本の初めての人権宣言と言われる、水平社宣言が発せられてからあと4年で100周年になります。この水平社宣言が発せられた全国水平社創立に参加された、朝田善之助さんの歩みと素晴らしい蔵書をしっかりと後世に伝え多くの人々に学んでいただく記念館が竣工したわけであります。素晴らしいことであります。

この建物に入った途端、すばらしい木の香りがいたしました。そして自然に優しい建物であります。自然に優しく人間に優しい事はとても大切なことです。我々は、自然と共生して行かねばなりません。こういうことを目指されたのかと改めて認識いたしました。

今日はメーデーでございます。先ほどまでメーデー会場で一緒だった方もこの会場におられます。さて、景気は回復したと言われますが、人々の生活の格差が広がって、生活の苦しさを訴える人々が多くなってきました。経済的な困難でしっかりとご飯を食べられない。こういう家庭も多くなっております。私たちは、このような問題に正面から取り組む努力をしなければなりません。こういう時に記念館が生まれました。

私が京都市教育委員会に入ったのは、昭和40年、同和対策審議会答申の出された年であります。昭和44年に「同和対策事業特別措置法」が制定されそれ以後、同和問題解決のための事業に取り組んでまいりました。同和問題に視点を当てた取り組みから真の共生社会を目指し、今日まであらゆる差別を許さない人権文化の深化に努めてきました。

この取り組み原点は、水平社宣言がそうであったように部落問題が基礎にあります。「部落差別解消推進法」が制定されて、さらに人権問題に対するその他の法律も制定されました。これらの人権に関する問題の解決に当たらなければなりません。朝田委員長が目指された、真に差別のない社会、一人ひとりの人間の尊厳を認め合う社会が大切であります。このことを改めて学びながら、様々な課題解決に取り組んでいきたいと思います。

 

 

■西島藤彦 部落解放同盟京都府連委員長 挨拶

1922年に全国水平社がこの京都の地で設立されました。自らが部落差別に反対して立ち上がり、一切の差別を許さない運動が戦前から展開されてきました。しかし、差別の当事者自らが立ち上がって差別を許さない運動をしても、なかなか社会はわかってくれない。差別が減るどころか、もっともっと陰湿な形で、拡大していく。
朝田さんは、こんな時代のリーダーであったと思います。

全国的にも京都は初めて差別の原因が行政の不十分な対応、部落の地域と人々にたいし、行政の埒外に置いてきた。それを許さない運動が京都に始まったと思います。この運動は燎原の火の如く全国に広まってまいりました。そしてこの運動が部落解放国策樹立請願運動につながり、特別措置法の時代に入ってくるわけであります。まさに、その先駆的役割を朝田さんが担ってこられました。

朝田さんは京都の運動で部落差別に関する理論を確立しながら全国の委員長として、全国のリーダーとして運動を進めて来られました。30数年に及ぶ特別措置法によって過去に遅々として進まなかった部落の実態は徐々に改善してきました。このような成果をあげてきたこの活動の指導者が朝田さんだと思います。そのことによって部落は大きく変化しました。国は特別措置法は終了したと言いますが、それは同和行政の終結であって、同和問題そのものの終結ではありません。今後は一般施策をしっかりと活用しながら残された課題を解決しなければならない。そんな時代に2,000年になって入りました。残念ながら一般施策をしっかり活用しながら部落問題の解決にあたるという時代に入ったわけですが、現実的には解決するというよりも現に差別が温存され拡大されるという状況が続いているわけであります。

そうした中でさきほどありましたように2016年に「部落差別解消推進法」が制定されました。その法律前文には「部落差別がいまも現存する」ことが明記されていました。その解決については、国を挙げて自治体をあげて解決に当たらなければならないことが法に書き込まれて、2016年の12月に施行されました。2016年4月に「障害者差別解消法」が施行され、6月に「ヘイトスピーチのついての法」ができました。我々の間では、人権三法とよんでいます。差別に関わる個別法が矢継早にできた年であります。それぞれが、どちらかと言えば財政的裏づけの示されていない法律でありますけども、私たちはそこに財源的裏付けや、実効性を高めるために魂を入れるために取り組んでいるところであります。

そういう意味では、朝田さんが財団をつくり、次世代の若い世代にしっかりとした教育環境を作り上げながら、部落差別を始めとする一切の差別を許さない未来の人材の育成に本当に精魂込めてこられたという事を思います。それは間違いなしに、今後それぞれの分野で、人権の取り組みにしっかりとした花を咲かせながら広がっていくと私どもも確信しているところであります。

このたびこの素晴らしい会館が完成し、部落解放運動の情報発信の拠点になる話を聞かせていただきました。朝田さんのもとに、全国から若者が集まり、活動家として全国に散らばっていき、解放運動を組織し発展させてきました。いまやその次の世代、さらに次の世代が解放運動を担っていくわけです。そういう人たちに情報を提供していきながら、さらに多くの人たちのさらに大きな学習の拠点になることを願い、新たな情報発信の拠点になることを期待して、部落解放同盟京都府連合会を代表して挨拶といたします。