奨学生の近況4|2015年度 前期

障碍者スポーツを学んで

 

学生生活も残り1年と少し。今までたくさんの出会いがあり、色々な勉強をした。なかでも一番勉強をしたいと思っていた「障碍者スポーツ」について、現在の状況やこれからどうあるべきかなども少しではあるが勉強できた。

 

以前、私は車いすバスケットボール選手からお話を聞かせていただいた。その方は16歳で交通事故に遭い、下半身不随になってしまった。それまでは何不自由のない生活をされており、自分の周りには常にたくさんの友達がおり人気者だった。自分はこのまま幸せな生活を過ごせるものだと思っていた。しかし、気が付いたら病院のベッドの上。「今日から俺も障碍者」としか考えられず、医者に「これから一生障碍者で生きるくらいなら殺してくれ」と何回何十回と頼んだ。絶望だった。

 

ある日、友達がお見舞いに来てくれたそうだ。友達は彼の足をみるなり「動かないの?じゃあ歩けないの?」と聞いてきた。「歩けない」そう一言返した瞬間、友達が豹変し「じゃあ生きる意味ないじゃん。これから一生車いすだろ?そんな奴友達なんかじゃねぇ」と言い、帰っていった。それからというもの、今まで周りにいた友達が1人もいなくなった。心の底から死にたいと思ったと話してくれた。

 

退院し、車いすでの生活が始まった。
今まで1人で乗れていた電車、バス、車にも誰かの助けがないと乗れない。その度に周りからの冷たい視線が自分に突き刺さる。こんな思いをするくらいなら一生家の中で暮らしていく方がましだと思い、気が付けば家に閉じこもる生活を送っていた。定期検診の時くらいしか外には出なかったらしい。しかし、外に出れば、「車いすだ。かわいそう」「障碍者の分際で話しかけてくるな」と言葉を浴びせられていた。その時初めて「差別」という問題が胸に刺さったと話してくれた。

 

生きる希望を見失い、自分はこれからどう生活を送っていこうかと悩んでいた時、病院で1人の男性に会う。その方は車いすバスケットボール選手で全国大会にも出場した強豪チームの人だった。「君も車いすバスケやらない」と声をかけてくれた。興味本位でその人のチーム練習を見学させてもらった。見た瞬間、からだ全身に電気が走った。車いす同士がぶつかり合う音、激しいプレー、みんなの真剣な眼差し。気が付けば監督に「俺も入れてください」と頼みに行っていた。

 

その日から、車いすバスケ中心の生活になった。毎日毎日練習やトレーニングをし、今ではチームのリーダーを任せられるようになった。

 

「事故にあった瞬間は絶望だった。しかし、今では本当の仲間、友達ができた。そして、車いすバスケにも出会え、健常者だった頃よりも何十倍も楽しい人生」と輝かしい目で話してくれた。今では、たくさんの場所で「障碍者について」や「差別について」などの講演会をされている。

 

私はこのお話を聞き衝撃を受けた。絶望から立ち直り、今ではトップのプレーヤーになられていることも素晴らしいと思ったが、世の中の冷たい態度には絶望的だった。障碍を抱えただけで「友達じゃない」「障碍者の分際で話しかけるな」など、この世のものとは思えない言葉を現在の人間は平気で口にする。五体満足の私達でも、いつ、どこで、何かに遭い障碍者になるかも知れない。五体満足のこの体は奇跡であり、当たり前なんかではない。ということを現在の人たちは分かっていない。「歩けることが当たり前」「ご飯を口から食べられることが当たり前」と勘違いしている。現在の教育現場も間違っている。今の子どもは平気で「ガイジ(障碍児)キモイ」「こいつ話せへんで!死ね」などと口にする。それを大人は注意しない。

 

こんな世の中で本当にいいのだろうか。
もっとたくさんの人が「障碍者差別」という問題に目を向けるべきだ。今の生活が幸せなこと、一日一日を生きられることは幸せなことだということをもっとたくさんの人が気づき、感じていくべきである。そうすることで障碍者差別も無くなり、みな平等な世界になっていくと私は思う。

 

今の生活を当たり前と思っていないか、一日一日を感謝して生きているか。
少しでも考えられるような人になってほしい。

 

大学 スポーツ学部 3年生 T.Mさん